チュチェ107(2018)年 5月 1日 ウェブ・ウリトンポ

 

朝鮮学校通学生にも高校無償化を

裁判「を」たたかうこと、たたかいの輪を広げること

西澤 清(日教組元副委員長)

 

暴力攻撃をはねのけた徳島教組、
   裁判「を」たたかうことの意義

 

2010年4月14日、日教組・徳島教組に在特会のメンバーが押し入り暴力的行為を行った。連合・日教組が行った「トブ太カンパ」の「在日朝鮮学校に通う子どもへの就学支援事業」での支援金を、徳島教組が四国朝鮮初中級学校に寄付した事への嫌がらせである。  

攻撃はカンパ決定後すぐに始まった。3月18日の参院予算委員会で義家議員が攻撃、次いで産経新聞が取り上げるといういつものパターンである。2009年12月在特会が京都朝鮮学校を襲撃し、ヘイトクライムが日本各地の様々な形で起こっていた時期である。  

書記長が、在特会のスピーカーで脅される映像は痛々しく見るに堪えない。書記長とはいえ普通の市井の人が「裸の暴力」にさらされる恐怖、ずたずたに切り裂かれる尊厳は耐え難い。その後、彼女は自閉症、うつ病などで苦しむが見事に立ちなおり裁判をたたかいぬく。彼女の言葉でいうと「裁判でたたかう」のでなく「裁判をたたかう」のだ。そして、2016年11月に最高裁で勝利する。特筆すべきはその間に運動の輪が広がり仲間が増えていったことである。一連の運動の中に裁判を取り込んでいくこと。教育の論理で運動を組み立てること、運動の輪の拡大と仲間づくりは、いつも私たちの大きな課題である。

 

高校義務化と高校無償化

 

「高校無償化」とは、「高校に通う生徒の授業料を無償にする」というものであり、学校は受け皿で通過点に過ぎない。いわゆる学校への「助成金」とは異なる。このことを今回の高校無償化を考えるときの大前提としてしっかりおさえたい。したがって、今回の国の措置は「朝鮮学校に通う生徒の個々の教育を受ける権利を阻害したものである」ことを認識すべきである。これが義務教育で行われたら大変な問題であることは言うまでもない。  

1947年制定の新学校制度は、初等教育、中等教育、高等教育(6・3・3・4制)に分けられ、高校は後期中等教育(前期3年・中学校、後期3年・高校)に位置付けられている。未来に生きる子ども達には「高卒程度の学力は必要」の観点から、中等教育は、義務教育として出発すべきという議論があったが、当時の財政事情から高校は、義務制とならなかった。しかし、「将来は義務制にする」という理念に基づいて「高校三原則」(小学区制、総合制、男女共学制)があり、当然のこととして経済が安定してくると幅広い「高校全入運動」が起こり、現在高校進学率は97%を超え「高校義務化」の環境は整えられている。  

また、国際的には「国際人権規約」の、高等学校と大学の学費無償化を求める部分を留保していたのは、日本とマダガスカルの2国のみとなり、早期に国際水準に追いつくことが求められていた。  

民主党政権下の2010年4月「高校無償化」(財源は4000億円)は制度化された。しかし、討論の経過を見ると、高校義務化の持つ教育的意義の議論は少なく、同時に成立した「子ども手当」と同質な議論が展開されておりこの点が弱点であった。高校無償化は民主党政権の「目玉政策」であったが、その弱点はすぐに民主党内部から表れた。

 

最初から目論まれた「朝鮮学校外し」

 

教育の理念が明確でないため、最初から高校無償化は政治の舞台にさらされた。その最大なものは「朝鮮学校外し」であり、最初に主張したのは、当時の政権与党(民主党)中井洽拉致問題担当相である。すでに実施以前の2010年2月17日に参院議員会館で開かれた拉致問題関係政策会議で、中井は高校無償化について「朝鮮学校を対象としないよう求めている」などと発言し、「在日朝鮮人の生徒らが通う各地の朝鮮学校を対象から除外するよう、川端達夫文科相(当時)に要請していた」のである。 中井は札付きでこれまでも、サッカーの東アジア女子選手権への北朝鮮参加に反対し止めたこともある。

当然、野党もシメタとばかり「朝鮮学校の無償化問題」を攻撃の対象として焦点化した。高校義務化の理念は、議論も実践も深まらず、定着することなく、自・公政権になってあえなく潰えてしまったのである。同時にこのことは、日本国憲法。教育基本法(旧)の下で、日本政府が打ち出した教育改革・「期待される人間像」「後期中等教育の改編について」「46中教審答申」「臨教審答申」という大きな流れも、適格者主義の是非も、教育改革をどうするのかの理念も議論されることなく終わってしまうことになった。

 

追い詰められた政権

 

日本国憲法・教育基本法の下では、朝鮮学校外しはできない。できないように法体系は作られている。しかし、政権(民主も自・公も)はその中で「朝鮮学校外し」を行った。最初は、各種学校にたる基準を満たしているかなどとイチャモンを付けた。施設・設備基準から始まり、教育内容に触れ、それらでも無理とわかるとその後はもうでたらめで、朝鮮半島の緊張状況から起こる様々な事件が原因にされた。そして、最後が下村文科相(当時)の「文部省令1条1項2号(ハ)」の「文部科学大臣が定めるところにより、高等学校の課程に類する課程を置くものと認められるものとして、文部科学大臣が指定したもの」の削除である。「土俵」を消してしまったのである。歴史を顧みない権力の乱用である。

 

高校教育の舞台でたたかうこと

 

こうして「高校無償化そして朝鮮学校外し」は、教育の中に位置付けられなかった。これは、教育の論理だと権力側は「負け」だからである。そこで裁判に逃げ込めば、政治的な問題では「統治行為論」(砂川事件判決)に立てる。その場合、裁判所は違法判断をしないのである。圧倒的に行政府側が有利になる。

したがって、意図的に最初から「政治問題化」されていたといえる。「高校無償化そして朝鮮学校外し」は高校義務化という「教育の問題」―それも高校教育をどうすべきかという範疇で論じるべきである。義務化の中で、多民族国家としての日本の将来像や民族教育の位置づけを議論すべきで、今からでも教育に関わるすべての人が将来への展望をもった議論と運動をする必要があると思う。(2018.4.30)