チュチェ107(2018)年 11月 30日 ウェブ・ウリトンポ
高校無償化:고교무상화/『金曜行動』在日二世 李 修 吾 사랑하는 조선대학 학생동무들! 사랑하는 東京朝高 학생동무들! 오늘도 수고합니다 ! 文科省の皆さん。御通行中の皆さん! 私は在日朝鮮人二世の年寄りです。 もう間もなく80歳に手が届く老人です。 今から90年前、私の両親は徴用と流浪で日本に連れてこられました。そんな両親のもと、私は日本で生まれ、日本で育ちました。 朝鮮語で私たち老人のことを령감と言います。何故80のこの령감がこの場に立ち、声をはりあげ、叫ばなければ ならないのでしょうか! 今 ここには、在日朝鮮人の学生と、そのお母さんたち、日本人の良心的な 素晴らしい先生方が、自発的に集まっています。 今年の春、私の孫が東京朝鮮高校に入学して、先日この金曜行動に参加しました。 孫が初めて参加する『社会活動』です。 私は大いに興味をもって、愛するうちの『坊主』がどのように行動をするのだろうか?心配でもあり、彼に知られないよう、この列の一番後ろに、そっと立ちました。 ♪どれだけ叫べばいいんだろう。 ♪奪われ続けた声がある。 ♪聞こえるかい?聞いているかい? ♪怒りが今また声となる。 ♪声よ集まれ、唄となれ! ♪声を合わせよう 共に歌おう! 私は、すばらしい歌を聞きました。 すばらしい紏弾のアピールを聞きました。 彼らは歴史を語り、道理を訴えました。 あなた方の理不尽を大いに指摘しました。 文科省の皆さん!貴方方は実に冷淡に対応していますね! かつて朝鮮を侵略した日本軍国主義者たちの植民地政策の影響で在日一世の多くが非識字者(文盲)でありました。 その一世たちが、祖国が解放された1945年以後、苦しい生活の中で二世三世のための民族学校をつくり発展させてきたのが、今日の朝鮮学校であります。 過去にあなた方は、その民族学校に対して、どんな仕打ちをしたか、知っていますか?知らないでしょう! 私は70年前の1948年、大阪府の八尾市にある朝鮮学校に通っていました。 アメリカが朝鮮戦争を始める二年前のことです! 4月のある日、警官が大勢、トラックに乗って押し寄せてきて、先生や私たちを力づくで追い出し、教室内にあった机や椅子を、全部もち去りました。校門を鎖で封鎖し、教室の入口の戸を釘付けにして行きました。その後、私たちの学校には、一歩も入ることが出来ませんでした。 このような事件は、たまたま大阪八尾の、私の通っていた学校でだけの事件ではなく、日本全国で朝鮮学校に対して強行されました。 数日後、大阪では同胞たちが抗議のデモを起こして、大阪府庁舎を、二重三重に取り囲んだとき、金太一という16歳の少年が警察の発砲した実弾にあたり死にました。 西部劇じゃありません。日本の警察官がデモに参加していた、丸腰の少年を撃ち殺したのですよ!! この一連の朝鮮学校弾圧事件はGHQ-アメリカ軍の指令とはいえ、当時の文部大臣、あなた達の先輩が仕切った事件なのですよ! 在日朝鮮人は、この時、4月24日に最も苛烈に戦った兵庫、大阪同胞たちの戦いにちなんで、この時のことを『4・24教育闘争』と名づけました。それから70年が過ぎましたが、私たちは親から子、子から孫へと、世代を超えてずっと語りつづけています。あなたたちが今日のような理不尽を続けるならば、私たちはこれからも声を大にして語り続けるでしょう。 文科省のみなさん! この立派な建物の中で働いているあなた方 公職者は、キャリア組も多いし、皆さん立派なインテリ達ではありませんか。 そういう貴方がたが、朝鮮と日本との間の近代史を知らないとは言わせませんよ! 知らないのならば、今からでも本気になって勉強すべきです。 因果応報=よい行いには良い報いが、 私はこの『金曜行動』が、5年以上も続けられていたのに対して、無関心でした。 私自身、人生、もう『終わった人』とは、けっして思っていないのですが、毎週一回、金曜日の1時間くらい、どうにでも作れる時間でした。 私は今日で16回参加しました。 孫やその友人たちを応援し、激励しようと思って来たのですが、逆にこの老人が、勉強させられ、励まされました! 私は文科省の皆さんが、過去、自分たちが朝鮮に対して、また在日朝鮮人に対して、何をやってきたのか、そして今は何をしているのか 反省し、改心するまで、金曜日のこの時間には、ずっとこの場所に来て、愛する若い友人たちと、一緒に立つつもりです。 最後にひとこと! 『無償化』連絡会の日本人の諸先生方! 雨の日も、風の日も、また摂氏35度を越す猛暑の日にも、在日朝鮮人の問題を、自分の問題のように考えて、闘ってくださっている諸先生方に、心から感謝申し上げます。 감사합니다. (2018.9.28 金曜行動アボジの文) |