核野望国の鼻持ちならない「被爆者」うんぬん -朝鮮中央通信社論評-
【平壌8月14日発朝鮮中央通信】先日、広島市で開かれたいわゆる「平和記念式典」というところで日本首相の岸田が「被爆者」のまねをして万人の憤激をかき立てている。
岸田は今回の演説で、79年前にもたらされた惨禍、人々の苦しみは二度と繰り返してはならないと述べ、「非核三原則を堅持し『核兵器のない世界』の実現に向けて努力を着実に積み重ねることは唯一の戦争被爆国であるわが国の使命だ」とずうずうしい詭弁(きべん)を並べ立てた。
核武装化を執拗(しつよう)に追求してきたことによって世人の指弾を受ける日本が突然、すでに死文と化して久しい「非核三原則」の看板を持ち出して「被爆者」のように振舞っても、その腹黒い下心は絶対に覆い隠すことはできない。
1967年当時、日本首相であった佐藤は「核兵器を持たず、作らず、持ち込ませず」という「非核三原則」を国際社会に公表した。
しかし、それは自分らの核野望を覆い隠すための一つの欺瞞(ぎまん)術策にすぎなかった。
「非核三原則」を標榜(ひょうぼう)したことによってノーベル平和賞まで受賞した佐藤の家から、米・日が1969年に合意した極秘核文書が発見された事実がこれをそのまま立証している。
実際に日本は、「非核三原則」というベールをかぶって核武装をしつこく追求してきたし、2000年代には日本の為政者らが「われわれが核弾頭を生産するのは容易なことである。日本の各原子力発電所には数千個の核弾頭を製造できる十分な量のプルトニウムがある」と公言する程度に至った。
それゆえ、日本は広島と長崎が原爆の被害を受けてから70年になる2015年の行事では形式上にでも唱えていた「非核三原則」について全く言及さえしなかった。
そんな日本が、すでに古びた「非核三原則」うんぬんを再び唱えた裏面には、陰険な下心が潜んでいる。
決心さえすれば任意の時刻に核兵器を製造・保有することのできる能力を完全に備えた日本にとってこんにち、それを合法化できる名分と空間が必要になった。
このため、日本は最近、「アングロサクソン族の原子力潜水艦同盟」と呼ばれる「AUKUS」への加入に拍車をかけながら、公開的な核保有の可能性と活路を見いだそうとしており、先日は米国と謀議をこらして「防衛」の看板の下で事実上の「核共有」まで実現した。
米・日・韓の3者間の初の多領域合同軍事演習である「フリーダムエッジ」、ドイツとフランス、スペインをはじめとするNATO加盟国との共同訓練など、列島とその周辺で繰り広げられる日本反動層の軍事的動きを通じて核野望国が狙う究極的目的がどこにあるのかが難なく分かる。
これは即時、多くの国の当然な警戒心をかき立てたし、それによって戦犯国の日本を見る世界の疑心の視線は日を追って一層鋭くなっている。
このような時点で岸田がまたもや「非核三原則」を公言し、20世紀に自分らが受けた原爆の被害を強調したのは、国際社会の警戒心を静め、核武装化の不純な野望をなんとしても実現しようとするところにそのずる賢い下心がある。
しかし、日本はむしろ表裏のある自分らの笑止千万な振る舞いが激怒した世界の民心をさらに激昻させる逆作用をするということを知らない。
日本が世界を欺瞞しながらやっきになって追求するその道は、広島の惨劇を繰り返す不幸であった過去への回帰である。
歴史を否定する者は、歴史の懲罰を受けるものである。(記事全文)