Archive for 6月 4th, 2007

「先軍政治」で読み解く北朝鮮の現在           朴 鳳 瑄

 私は昨年(2005年春)「北朝鮮・先軍思想の真実―金正日政権10年の回顧―」というタイトルの本を光人社から出版した。少しでも読者の関心を引くために,この本のコピーを「北朝鮮はなぜ崩壊しないのか?《先軍》で読み解く北朝鮮の現在」、「幾度も国家崩壊を噂されながら《しぶとく》生き残ってきた北朝鮮、その謎を解くカギは《先軍》にある。金正日国防委員長の主唱する軍事優先の《先軍政治》とは何か?」にした。私はこの本で「先軍政治」をキーワードにして、祖国との交流で知りえた貴重な情報をもとに、金正日政権が歩んだ10年間を分析し、強硬姿勢を崩さない北朝鮮の真意と未来を探ったつもりである。
Nk_songun_2 何軒かの本屋をのぞいて見たら、韓国・北朝鮮の書籍コーナーの書棚に、北朝鮮を誹謗中傷する多くの本に混じって、私の本も数冊こぢんまりと並べられていた。私の本はNHK,毎日新聞、週刊新潮などの書評欄に紹介され、評論のまな板に乗った。その内容に賛意を表するもの、批判するものなどいろいろあったが、どの書評も北朝鮮の真実をまじめに探っていると認めていた。ある書評は、著者とは思想的立場を異にするが、現在の北朝鮮、特に金正日国防委員長の思想と政治方式を知るための、まじめで信頼できる手引き書になろうと書いていた。的を射たこの書評は本望だった。
 日本のマスコミには、相変わらず北朝鮮に関する報道が溢れている。しかし北朝鮮の現在と未来の深層理解へと誘う報道記事はほとんどお目にかかれない。寂しいことである。
 「先軍政治」は現在の北朝鮮の政治を読み解くキーワードである。北朝鮮の造語である「先軍政治」という用語は既存の辞書や事典にはまったく出てこない。そのため「先軍政治」という用語を軍国主義や軍政の概念に曲解して、北朝鮮の政治をどちらかといえば否定的に表象する傾向がある。この稿では、「先軍政治」という用語の意味を中心にして、先軍政治の本質、先軍政治の誕生、先軍政治の展開について少し書いてみる。もし興味をお持ちになられたら、「先軍政治」を全面的に論じた私の本を紐解いてくだされば幸甚である。

 「先軍政治」とはなにか
 初めて聞くこの「先軍政治」という言葉はなにを意味するのか。先軍政治と軍国主義政治とどう違うのか。
 まず「先軍政治」という新造語の作者・北朝鮮の最高指導者である金正日国防委員長の説明を聞こう。
 「先軍政治とは、本質的には軍事優先の原則から発して、革命と建設で提起されるあらゆる問題を解決し、人民軍を革命の大黒柱にして、それに依拠しながら社会主義偉業の全般を推し進めていく政治方式をさします。」
 この定義に従うと、先軍政治は大きく二つの内容を含んでいる。第一は軍事先行の原則を堅持して国内外のあらゆる問題を解決していくことである。軍事先行は先軍政治の核心である。軍事を国事の中の第一国事とみなし、軍事力の強化に最優先権を与えるのが軍事先行である。第二は人民軍に依拠して国家の全般的な事業を推進していくことである。軍を最も信頼をおける核心勢力、前衛部隊とみなし、軍に依拠して社会主義を守り、社会主義建設に拍車をかけることを意味する。
 先軍政治は軍国主義とは決定的な違いをもつ。軍国主義は政治、経済、文化などすべての面で全国民を侵略戦争に動員する体制をさす。軍国主義は内的には軍事統治をし、外的には他国を侵略する。先軍政治が軍国主義と決定的に違うのは、その目的が侵略ではなく防衛にあることである。先軍政治は内的には軍隊が建設に邁進し、外的には軍事力で祖国を防衛する。
 政治哲学は政治の羅針盤である。金正日の先軍政治は独特の政治哲学と独特の軍事観=銃剣哲学にその基礎をおいている。金正日の政治哲学は、①軍隊は党であり、②軍隊は国家であり、③軍隊は人民である、という三つの思想である。金正日の先軍政治はまた独特な銃剣哲学にその思想的基礎をおいている。かれの銃剣哲学は、銃は階級の武器、革命の武器、正義の武器、革命家の永遠の同伴者であるという思想である。「銃にも思想がある」が銃剣哲学の核心である。

 先軍政治の誕生
 
金正日の先軍政治は、金日成主席の遺訓統治元年である1995年元旦から始まったとされる。元旦の朝、金正日国防委員長は松ノ木が生い茂ったとある山の麓に駐屯する人民軍哨所を訪ねた。この日、金正日は哨所の兵士たちと屠蘇を祝い、歌と踊りを見、記念撮影をした。金日成主席の逝去後の初視察が人民軍部隊に定めたその意味を、その当時はまだだれも的確に理解していなかった。
 90年代中期、北朝鮮は未曾有の国難に遭遇していた。ソ連と東欧社会主義が崩壊し、北朝鮮は友邦もいない孤立状況に陥った。北朝鮮と敵対関係にあった米日欧諸国は、好機到来と北朝鮮への政治・経済・軍事的圧力と孤立政策をより一層強化した。泣きっ面に蜂で、北朝鮮は三年連続の自然災害で経済が壊滅し、さらに建国の父である金日成主席の逝去に打ちひしがれた。幾重にも重なる災難に耐え切れず、その場にへばりこんで座り込んでしまうか、列強と妥協して経済援助を求めるしか生きる道がないと考える人々が出てもけっして不思議ではなかった。米国や日本、韓国では「北朝鮮崩壊論」や「北朝鮮改革開放論」がまことしやかに流布された。
 この国難をどう乗り越えるのか。その選択は北朝鮮の指導者・金正日の英知と決断にかかっていた。その決断の日が他でもない1995年元旦であり、かれが選択した道こそ軍事重視、軍事先行の「先軍」の道であった。この日から北朝鮮の新聞やテレビでは金正日最高司令官の軍部隊に対する現地視察の報道が頻繁にされるようになる。
 しかし北朝鮮で「先軍政治」という言葉が定式化されるのは3年後の1998年からだった。北朝鮮建国50周年を契機に「強盛大国」建設構想をぶちあげた金正日は、未曾有の国難を打開する三年間の「苦難の行軍」で、自らが全力を尽くして展開した政治が他でもない「先軍政治」であり、この先軍政治は今後自らの政治方式になると宣布したのである。労働新聞は「先軍政治の本質は軍隊と人民の思想の一致、闘争気風の一致、生死苦楽の一致」(5.26)という論説で、先軍政治の本質とその意義を初めて体系化した。また北朝鮮の最高人民会議は憲法改正で国家主席職を廃止し、金正日を国防委員長に推戴して、先軍政治の国家体制を本格的に始動させた。改正憲法で国防委員長の位相は一層強化され、朝鮮人民軍創建記念日(4.25)は国家祝日に制定された。
 かくして金正日の先軍政治を北朝鮮の独特の政治方式とする先軍時代が幕を開けた。北朝鮮は軍事先行の原則から発して諸事全般を処理していく、軍事中心の時代、軍重視の新時代を迎えた。先軍政治はある意味で、脱冷戦時代の北朝鮮の生き残りをかけた国家戦略であり、金日成主席逝去後の金正日国防委員長の名と結びついた政治方式である。

 先軍政治の展開
 
先軍政治の展開を歴史的プロセスでなく、その特徴でいくつかの側面で言及してみよう。
 ①先軍政治では、軍に依拠して社会主義の体制守護と危機管理をする政治方式である。軍は北朝鮮の社会主義体制を守護する最後の最強の組織である。北朝鮮が体験した「苦難の行軍」は実に北朝鮮社会主義体制の命運そのものが問われた国家存亡の危機であった。巷間では北朝鮮の社会主義体制の終焉は時間の問題であると噂された。労働階級の党・国家体制の指導力も相対的に弛緩していた。信頼できる組織は唯一、革命に忠実な人民の軍隊であった。
 ソ連・東欧の社会主義がもろくも崩壊した遠因は、労働階級の党と国家の重要性を強調するだけで、軍事重視、銃剣重視の先軍政治にさほど関心を払わなかったからでもある。
 人民の軍隊を主力として、社会主義の主体を強化しその役割を高めねばならない。北朝鮮では軍は社会主義の生命線を担っており、その高い革命性、組織性、規律性をもった最強の集団である。先軍政治は、この軍を革命の主力とみなし、軍自体を強化するとともに全党、全軍、全民の統一団結を実現するという。
 ②先軍政治では、自衛思想のもとで自立的な軍需産業を発展させ、国防力の強化を優先する。北朝鮮を軍事強国にするのは戦争を起こすためではなく、逆に戦争を起こさせないためである。
 金正日の見解では、北朝鮮は小さい国だから国防をおろそかにした日には、周辺大国、特に最強の軍事大国である米国の餌食になってしまうという。米国というライオンが手を出せないよう、北朝鮮をハリネズミ化するのが国防産業の核心である。しかし軍需産業の発展には耐え切れないほどの莫大な資金が必要である。人民が食糧難に喘いでいる時、金正日は、我々は子供たちに上げるあめ玉の生産を減らしても生きていけるが、武器と弾薬の生産を減らしては生きていけないと述べ、心の底で血涙を流しながら、人民軍の装備近代化計画を批准したという。
 ③先軍政治では、軍は国防の機能ばかりでなく、社会主義建設を直接担当する。金正日の先軍政治は人民軍を主力として社会主義建設全般を推進する政治方式である。
 「苦難の行軍」期、人民軍は最高司令官命令に従って、平壌市の清流橋建設や安辺青年発電所建設を担当して、建設任務を期限前に完工させた。その過程で革命的軍人精神が発揮され、社会主義建設の大きな推進力となった。また食糧難を解決するために農業支援にも積極的に参与し、多くの軍の将兵が農場に駆けつけた。国家の命令体系が弛緩し、党・国家体制が正常に稼動しない状況下で、経済建設への軍の参与は不可欠であったし、現実的に大きな役割を果たした。
 軍人建設者たちは最高司令官の信任に答えるために、工事で無比の献身、大胆さ、犠牲精神を発揮し、突貫工事を押し進めた。軍人達には建設も戦闘であった。最高司令官の命令を貫徹するまで祖国の青空を仰がないというのが、革命的軍人精神であった。
 片手に銃を、他方にハンマーと鎌をもつ軍隊の姿、これが先軍政治の軍隊像であった。

 先軍政治の生活力
 
金正日政権10年を回顧して、先ず考えることは、冒頭でも指摘したとおり、幾度も体制崩壊を噂されながらもよくも「しぶとく」生き残ったものだという感慨であろう。そしてなぜ北朝鮮は生き残ったのかという問いに、いまでは金正日国防委員長の「先軍政治」にその秘訣があったと考える人々が増えている。初め先軍政治は危機脱出の過渡的な国家戦略であると見た識者も、今では先軍政治を社会主義の普遍的な政治方式であるとする主張に首肯するようになっている。さらに一歩進んで北朝鮮の先軍政治を米国の傲慢な世界戦略を打破する戦略として研究しようとする機運すら生まれている。
 冷戦以後、米国は自国が主導する一極世界秩序の樹立を目的とするグローバリゼーションを打ち出した。それは冷戦の終息を「社会主義の実験の失敗」「資本主義の時代の永遠な到来」とみなし、このような変化した環境から出発して、世界を市場民主主義国家で構成された一つの「大家庭」に作り変えようとするものである。いうならば、世界の政治、経済、文化などあらゆる物事を米国式に改革し、米国化することである。
 米国はこの世界戦略の実現を力の優位に基づいた軍事行動で支える意図で、「21世紀の米国の新戦略」を作成し、世界の至るところでこの戦略を実践している。21世紀に入って米国はアフガン戦争、イラク戦争、対北朝鮮「核騒動」を引き起こした。米国はある文書で「北東アジアは今後内戦が起きる可能性が最も高い地域」として「北朝鮮による継続的な軍事威嚇」を「懲らしめる」ために、北朝鮮の奥地にある軍事基地をミサイルと空母で攻撃する作戦計画を立てたが、シュミレーションでこの計画は実行不可能であると認知された。それは北朝鮮の先軍政治に基づいた超強硬姿勢で、北朝鮮に対する米国のあらゆる戦争計画に足かせががっちりとはめられたからである。
 かくして北朝鮮の先軍政治は21世紀の世界政治を代表する新しい政治気流として認知され、国際政治の政治情勢に変化をもたらす要因のひとつに成長している。これも国際関係の視野で見た先軍政治の生活力だといえよう。

 

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