Archive for 6月, 2007

사설 : 민족자주의 기치높이 조국통일운동을 더욱 힘있게 벌려나가자

주체96(2007)년 6월 15일 로동신문

 

(평양 6월 15일발 조선중앙통신)15일부 《로동신문》에 실린 사설 《민족자주의 기치높이 조국통일운동을 더욱 힘있게 벌려나가자》의 전문은 다음과 같다.

오늘의 시대는 우리 겨레가 6.15북남공동선언의 기치, 《우리 민족끼리》기치를 높이 들고 자주통일운동을 거족적으로 벌려나가는 민족사의 새로운 시대이다.

력사의 시련과 도전을 과감히 뚫고 헤치며 자주통일위업이 힘차게 전진해나가고있는 시기에 우리 민족은 력사적인 6.15북남공동선언발표 7돐을 맞이하고있다.

온 겨레는 만난을 이겨내고 자주통일위업을 기어이 완성하고야말 비상한 각오와 의지를 더욱 굳게 새겨안고있다.

돌이켜보면 민족의 분렬사에 처음으로 평양상봉이 마련되고 온 민족의 자주통일의지가 반영된 력사적인 6.15북남공동선언이 채택된것은 민족사에 특기할 사변이였다. 평양상봉과 6.15북남공동선언의 채택은 온 세계의 이목을 집중시켰으며 전체 우리 민족의 가슴가슴을 크나큰 환희와 통일에 대한 희망으로 설레이게 하였다.

6.15북남공동선언이 채택된 때로부터 지난 7년간은 우리 민족의 자주통일의지와 지향이 내외에 힘있게 과시된 격동적인 나날이였다.

온 겨레는 6.15북남공동선언의 정신에 맞게 외세의 간섭을 단호히 반대배격하고 민족주체적자각과 의지로 조국통일운동을 떠밀어왔다. 민족의 단합과 통일을 위한 투쟁에서 민족자주의 원칙, 《우리 민족끼리》의 리념을 철저히 구현하여온것은 6.15통일시대의 자랑찬 투쟁모습이였다.

6.15북남공동선언의 기본정신인 《우리 민족끼리》는 자주통일을 갈망하는 온 겨레의 마음속에 깊이 뿌리내린 시대의 정신으로, 전민족적인 리념으로 되였다. 조국통일운동에서 민족자주의 대, 《우리 민족끼리》의 대가 확립되였다. 우리 민족의 내부문제에 개입하여 감놓아라 배놓아라 하던 미국의 부당한 간섭행위는 통할수 없게 되였다.

조국통일의 주체적력량이 확대강화되고 조선반도의 대결구도에서 변화가 일어났다.남조선에서 민족자주의식과 화해, 단합기운이 급격히 높아졌으며 반외세자주화운동이 새로운 높은 단계에로 발전하였다. 민족적화해와 자주통일운동은 대세를 이루고 외세에 추종하여 대결과 반통일을 추구하는 세력은 민족의 버림과 규탄을 받아 시대의 기슭으로 밀려났다.

6.15북남공동선언을 철저히 고수리행하여 자주통일을 이룩하기 위한 투쟁을 줄기차게 벌려오는 과정을 통하여 우리 겨레는 민족끼리 손잡고 힘을 합쳐 투쟁하면 못해낼 일이 없다는 민족단합의 진리를 깊이 간직하였다. 내외반동들이 6.15통일시대의 흐름을 되돌려세워보려고 갖은 발악적책동을 다하였지만 우리 민족의 자주통일운동의 앞길을 결코 가로막을수 없었다.

민족자주의 기상이 나래친 6.15통일시대의 현실은 위대한 령도자 김정일동지의 자주통일사상과 의지가 안아온 빛나는 결실이다.

어버이수령님의 조국통일유훈을 하루빨리 실현하시려는 확고한 의지를 지니신 위대한 김정일장군님께서는 력사적인 평양상봉을 마련하시고 6.15북남공동선언을 탄생시켜주심으로써 민족자주통일의 새로운 시대를 열어놓으시였다. 위대한 장군님의 애국애족의 헌신과 끝없는 로고에 의해 우리 민족의 통일운동은 민족자주의 궤도우에서 꿋꿋이 전진할수 있었으며 일찌기 있어본적 없는 새로운 장을 펼칠수 있었다.

외세의 침략전쟁책동으로부터 조국과 민족의 운명, 자주통일위업을 굳건히 지켜주고 민족의 존엄과 위용을 만방에 떨쳐준 위대한 장군님의 선군령도는 자주통일시대의 전진을 확고히 담보해주는 필승의 보검으로 되였다.

《우리 민족끼리》기치밑에 벌어진 지난 7년간의 자주통일투쟁은 6.15북남공동선언의 견인력과 생활력을 힘있게 시위하였다.

나라의 통일을 우리 민족끼리 힘을 합쳐 자주적으로 이룩해나갈데 대하여 천명한 북남공동선언은 온 겨레의 자주통일지향과 열의를 비상히 고조시키고 자주통일운동이 거족적으로 힘차게 벌어질수 있게 하였다. 우리 민족은 실지투쟁체험을 통하여 6.15북남공동선언이야말로 자주통일의 리정표로 된다는것을 절감하였다.

전체 조선민족은 앞으로도 어떤 시련과 난관이 가로막아도 력사적인 6.15북남공동선언을 변함없이 고수하고 철저히 리행해나감으로써 조국의 자주적평화통일위업을 반드시 이룩해야 할것이다.

위대한 령도자 김정일동지께서는 다음과 같이 지적하시였다.

《우리는 민족자주의 기치를 높이 들고 조국통일을 위한 투쟁을 더욱 힘있게 벌려 나라와 민족의 완전한 자주독립을 이룩해나가야 한다.》

민족자주의 기치를 변함없이 높이 들고 조국통일운동을 더욱 힘있게 벌려나가는것은 오늘 우리 겨레앞에 나선 중요한 시대적과제이다.

지금 내외반동들의 책동으로 조선반도의 정세는 의연히 긴장하며 자주통일의 앞길에는 시련과 난관이 적지 않게 가로놓여있다. 하지만 우리 겨레는 통일의 전도에 대하여 락관하고있다. 그 어떤 힘도 우리 민족의 자주통일진군을 멈춰세울수 없다.

온 겨레는 비상한 각오와 의지를 안고 민족자주의 기치, 《우리 민족끼리》기치를 변함없이 높이 들고나가야 할것이다.(전문 보기)

 

[Korea Info]

 

東京朝鮮第2初級学校・枝川裁判、和解が成立!

◆和解が成立!(2007年3月8日第17回)

 2007年3月8日(木)10:30より東京地裁615号法廷にて、第18回口頭弁論が開かれた。37名分の傍聴券を求めて130名を越える人が列をつくった。

 今回の弁論では、原告(都と区)と被告(東京朝鮮学園)の間に和解が成立した。
 まず最初に被告東京朝鮮学園代理人が第9準備書面を陳述し、戦前の強制的移住からはじまる歴史的経緯、本件土地が戦後直後から朝鮮人が心血を注いで作り維持してきた朝鮮学校の場であり、将来にわたっても朝鮮学校でありつづけることから、裁判所に英断を求めた。それを受け、裁判所は、前回の東京朝鮮学園理事長、宋校長および弁護団の意見陳述を踏まえ、また、当地が戦後直後からずっと朝鮮人子弟の教育の場、朝鮮学校であり、今後もそうであり続けることに鑑み、和解を勧告した。当事者双方は和解勧告を受け止めると述べ、裁判所は弁論手続きを終結し、続けて、部屋を移し、非公開の和解手続に移行し、そこで和解が成立した。

 主な内容は朝鮮学校側が都・区から当該都有地・区道部について、市価の10%弱である1億7000万円の和解金を支払うことにより、所有権を取得するというもの。これで三年三ヶ月にわたる枝川裁判は終わりを迎える。

 裁判終了直後に弁護士会館で記者会見が行われ、その後場所を移して支援者に対する報告集会が開かれた。

 まず弁護士と学校関係者による発言があった。

 「水面下での交渉になり、突然の発表となってしまった」と言う金舜植弁護士は、やや緊張した面持ちで弁護団談話を読み上げた。そして今回の和解について簡単に解説したのち、市価の10%弱という和解金に触れ「これは民族教育の権利を都側が認めざるを得なかったことを示した」と強調した。
 金順彦同学園理事長は「色々と情勢が難しい中、本当に心配した。和解できたことが嬉しい」と喜びを表現し、理事長声明を読み上げた。
 校舎取り壊しを危機を免れた東京朝鮮第二初級学校の宋賢進校長は、「裁判を支援してくれた弁護士、同胞、枝川支援連絡会、そして韓国からも、多くの方が支援してくださった。本当に感謝したい」と発言した。そして3年3ヶ月計18回に及んだ裁判を「学校の教員、保護者、生徒が本当に不安な日々を迎えていた」と同時に裁判を通じて支援の輪が広がったと振り返った。また和解が成立したことで「今後、民族教育がもっと発展される条件が整った」とし、「校舎建て替えなど大きな課題が本当に山積みだが、裁判に比べれば本当に夢のある悩みだ」と心情を吐露。最後に裁判を通じて「日本人とのよい関係ができた」として、「今後とも支えてくださった皆さんと共に、やっていきたい」と意欲を見せた。

 次に行われた質疑応答では、1億7千万円という和解金の額が妥当かという質問が投げられた。金弁護士は「子供が安心して学べることを第一に優先した」としながら、「学校側に認められるだろう賃借権相当の部分を差し引いても市価の4割ほどになるだろう」とし「四割より安い10%弱であることからもこちらの勝利」と語った。

 また師岡康子弁護士は。「判決で、日本ではじめての民族教育権確立を勝ち取りたいという気持ちもあったが、他方、本件裁判はこちらが起したものでなく、東京都から学校取り壊しという攻撃を仕掛けられたものであり、子どもたちが人質にとられており、また、訴訟提訴前にも東京都との間で格安値での買取交渉をしてきた経緯もあり、子どもたちの教育の場確保を最優先にして、早期解決のために和解を選択した」とコメントした。
 張学錬弁護士も「この裁判は形式的には民事裁判だが、内容的には学校つぶしという恐ろしい裁判だった」と言い、和解金の安さに「書かれてはいないが、都が民族教育権を認めざるをえなかったのとかわらない」と語った。

 その後、裁判支援者の発言が続いた。

 枝川支援連絡会の佐藤信行氏は、裁判の間2年弱で、枝川都民基金に591万円の寄付があったことを報告した。
 枝川都民基金の共同代表である大津健一氏は「会合のたび弁護団から「必ず勝つ」と聞かされていたのでとても勇気付けられていた。都民基金は今後もやっていく」とコメントした。
 証言記録が裁判を助けた『東京のコリアンタウン』を出版した樹花舎代表の花村健一氏は「江東区の朝鮮人の聞き取りを単行本としてまとめたときから関わっていた。日本人として、朝鮮人と思いを共にしてきた。今後も日本の誤った流れに抗していきたい」と語った。
 ミレ(未来)・枝川朝鮮語講座を主催する福島有伸氏も「本当に嬉しい。第二(朝鮮学校)を日本人との新たな関係をつくるところにしたい」と発言した。江東区の在日朝鮮人一世の聞き取りを行った支援連絡会の村田文雄氏は「(当時)本は売れなかったが裁判に役立ってよかった」とコメントした。
 裁判前から枝川住宅管理委員会の委員長を務めてきた金成泰氏は「本当に嬉しい」としながら、「在日朝鮮人一世の証言記録が残っている地域が少ない。記録してくれた日本人に感謝したい」と挨拶した。そして「実は12年だ。都との交渉は阪神大震災の95年から始まっている。当時払い下げの直前までいったのに、政治状況がかわり都の態度が急変した」と振り返った。最後に「校長も言ったとおり、日本人とよい関係をつくりだすために、今後もがんばっていきたい」と挨拶した。

 集会の最後に、支援連絡会の佐藤氏が同会の声明を読み上げた。それは次のように結ばれている。
 「私たちにとって枝川裁判の何よりも大きな収穫とは、枝川朝鮮学校に学ぶ子どもたちに出会い、また枝川朝鮮学校の教員をはじめ、保護者、卒業生、学校を支える枝川の町の人びとと出会い、議論をし、共に裁判闘争を担ったことである。そして全国各地、韓国の仲間たちと、「枝川」を通して知り合えたことである。これ以上の「成果」があるだろうか。私たちは、「裁判闘争」に勝利したのである」-枝川裁判支援連絡会のページ裁判報告-

〈投稿〉 言論テロ、謀略記事…読売新聞とは

  公安情報の垂れ流し
 読売新聞の見出しに目を疑った。「在日学生組織、北朝鮮工作員の“供給源”か…2児拉致事件」(4月25日付夕刊)、「2児拉致 朝鮮総連幹部の聴取は必要だ」(4月26日付社説)。拉致問題と総聯を意図的に結びつけた一連の記事はまさに言論テロだと言うほかはない。
 留学同の学生や卒業生らが憤慨するように、読売新聞は留学同の活動や学生らに対する取材もせず、公安が流した情報と推測だけで大々的に取り上げこう書いた。
 「警視庁公安部は、留学同が、工作員の『供給源』となっていたとみて調べている」(25日付夕刊)、「警視庁は、留学同の役割にも注目している。工作員となる在日朝鮮人の学生を選別し、供給する機関だった疑いがあるからだ」(26日付社説)
 主語を警視庁にすることによってあたかも公正な記事であるかのように装っているが、事実を検証すべきジャーナリズムの基本的使命と、国家権力の不当な行使を監視すべきメディアの役割を完全に忘却している。
 オーマイニュースインターナショナル日本語版に掲載された小野川梓氏のコラム(5月7日付)は、事件の立件の難しさなどを指摘しながら「今回の捜査は、政治的な色合いが強い。拉致問題を重視し、対北朝鮮強硬策を続ける政府の意向を警察当局が汲み取り、拉致の卑劣さを国内外に印象付けようと捜査を進めているものと言わざるを得ない」と強調。警察の行き過ぎに批判や疑問を呈していかねばならないにもかかわらず、捜査の状況を大々的に報じる「新聞の無分別とも映る姿勢は問題だ」「警察情報を鵜呑みにしてはならない」と指摘した。
 数々のメディアが指摘するように、安倍政権は拉致問題を全面的に強調し対朝鮮強硬政策を堅持することによって世論の支持を取り付けようとしている(実際にそうして政権を握った)。総聯に対する政治弾圧は、そういった政府の意向を汲んだ警察当局による暴挙である。
 今回の強制捜索は「慰安婦問題」で世界から非難を浴びる安倍サイドが、ブッシュ大統領から支持を得るために訪米直前に仕掛けた弾圧であることは明らか。それを安倍政権や公安当局の意図通りに記事にすることは政治弾圧への荷担、言論によるいじめである。
 長野県に住む「拉致容疑者の兄」なる人物の単独インタビューをスクープ「できた」のも警視庁との密な関係を物語っている。一連の記事からは、読売新聞に染み付いたいくつかの腹黒い本性が見て取れる。

  親米保守のDNA
 昨年10月、「日本テレビとCIA-発掘された『正力ファイル』-」(有馬哲夫著)という著書が出版された。2月に「週刊新潮」で「CIA『政界裏工作』ファイル発見!CIAに日本を売った読売新聞の正力松太郎」との驚くべき見出しで報じられて以来、出版を待ちわびていた人も多かったことだろう。著者の丹念な資料調べの集大成とも言える同書は、これまで読売グループの繁栄を築いた読売新聞社第7代社長・正力松太郎に付きまとう数々の疑惑を明らかにした。
 とくに読者の興味を焚きつけたのは正力とCIAの関係だ。同書によると、CIAは1000万ドル(1953年当時約40億円)の借款を正力に与え、全国縦断電磁波通信網建設を支援しようと目論んだ。この工作は失敗に終わったが、仮に成功していればCIAは日本テレビと契約を結び、米国の政治、経済、軍事、情報のあらゆる分野で利用するつもりだったという。
 この工作は失敗したものの、マイナー新聞を朝日、毎日に対抗するメディアへと成長させた正力の手腕を買ったCIAや米国の日本ロビイストによる関与は一貫していた。CIAは正力に「ポダム」という暗号名まで付けていた。そんな正力は知ってか知らずか、テレビ構想を進めた。米国はそれを「反共の防波堤」として巧みに利用した。「テレビの父」と称される正力に付きまとったCIAの影はまさに事実として明るみになったのだ。
 正力は「原子力の父」としても知られている。正力は首相の座を得るため読売メディア総動員で原子力平和利用キャンペーンを展開、CIAは正力を利用して日本の反原子力世論の沈静化を図り、ゆくゆくは日本への核兵器の配備を政府首脳に呑ませようと目論んでいたという。
 単刀直入に言うとこうなる。世界で唯一核兵器を落とされた(しかも二度も)国が10年も経たないうちに原発導入を決めるに至った。そこで暗躍したのが読売だということだ。
 読売新聞や日本テレビに見られる親米保守、対米追従の一貫した姿勢は、正力が持ち込んだDNAだと言える。1924年、正力の社長就任以来、読売新聞は右に急旋回し、政府、警察の発表を垂れ流す体質が定着した。戦争翼賛メディアとして日本を戦争に追い込むにも一役買った。今も連綿と受け継がれるこの姿勢と体質は紙面や画面を通じてひんぱんに目に飛び込んでくる。狂乱的な反朝鮮、反総聯報道もこんな脈絡から考えると納得がいく。

  読売と黄色主義
 しかし、読者数を劇的に増加させた「手腕」に目をつぶるわけにはいかない。正力の「手腕」の一つがイエロー・ジャーナリズムの導入だ。イエロー・ジャーナリズムとは、事実報道よりも煽動やセンセーション、誇張に重点を置く報道形態で、19世紀米国で読者数増加のための手段として用いられた。今で言う写真週刊誌やスポーツ新聞、ワイドショーなどの元祖とも言われる。
 読者数で読売新聞の追随を受ける他紙は正力のイエロー・ジャーナリズムを「エロ・グロ」と批判している。「東京新聞評論(七)」(1936)は次のように批判している(木村愛二著「読売新聞・歴史検証」から引用)。
 「読売はアメリカのいわゆる黄色紙の行き方を完全に模倣している。徹底したセンセーショナリズム…それが読売の身上であると言っていい。新聞が商品である以上、売れることを第一義としなければならないのは言うまでもない、売るためには大衆の嗜好に投ずる事を考えなければならない、正力のエロ・グロ主義はここから生れて来るのである」
 「読売に対して、いまさら品位を保てとか、政治に興味を持てとか、外電を充実しろとか、難きを強いるほど筆者は野暮ではないつもりだが、読売の将来のために、注意して置きたいのは、エロ・グロにも種切れがあり限界があるものだということだ。そして今にしてこの行き詰まりの打開策を講ずるにあらざれば、豪勇正力も衣川の弁慶坊主のようにエロ・グロの七つ道具を背負ったまま、みぢめな立往生をしなければなるまい」
 正力は紙面にセンセーショナルな見出しを載せ読者の興味を引き付けていった。社会面にヌード写真を掲載し、新聞のテレビ欄の発祥と言われる「よみうりラヂオ版」を創設した。日本への野球導入で活躍したことは有名な話だ。
 ついには好戦的な報道で戦争を煽り日本を破滅の道に追いやる急先鋒の役割を果たした。正力自身はA級戦犯に指定され収監されたが占領軍の恩赦によって不起訴となった。釈放については米国側の「配慮」が指摘されている。

  在日朝鮮人弾圧
 正力は読売新聞の部数を大きく拡大させた「読売中興の祖」として「大正力」と呼ばれた。「蛙の子は蛙」、狼が羊に変わることはないように読売新聞はこれからも「大正力の新聞」であり続けるのだろうか。
 読売新聞4月25日付夕刊に「在日学生組織、北朝鮮工作員の“供給源”か…2児拉致事件」という見出しが躍った。まさにイエロー・ジャーナリズムの真骨頂と言える。B級週刊誌やスポーツ紙でさえも躊躇しそうな恥ずかしい見出しを世界一の発行部数を誇る天下の読売新聞は惜しげもなく掲載してのけた。
 これも読売新聞のDNAに刷り込まれた正力の特性のようだ。
 1921年、正力松太郎当時36歳、彼は警視庁で警視総監に次ぐナンバー2の官房主事に就任した。そして迎えた1923年9月1日、関東大震災。災害時の治安維持に努めるべき立場の人間がなんと、朝鮮人虐殺を誘発させたのだ。
 当時、朝日新聞の営業局長が震災発生時の状況をこう解説した(参照=木村愛二著「読売新聞・歴史検証」、石井光次郎の伝記「回想八十八年」)。
 「記者の一人を、警視庁に情勢を聞きにやらせた。当時、正力松太郎が官房主事だった。[中略]帰って来た者の報告では、正力君から、『朝鮮人がむほんを起こしているといううわさがあるから、各自、気をつけろということを、君たち記者が回るときに、あっちこっちで触れてくれ』と頼まれたということであった」
 正力自身はこのときのことをこう回顧している(1944年警視庁での講演)。
 「朝鮮人来襲の虚報には警視庁も失敗しました」
 何を失敗したのか。続く発言では警察がデマに躍らされ無駄に警戒にあたっていたとされている。しかし、デマで多くの朝鮮人が虐殺されたことを容易に知りうる地位にいた事実は否定できない。正力の「失敗しました」のなかに朝鮮人虐殺への自戒の念がこもっていたのだろうか。いずれにせよ、警視庁のナンバー2がそういったデマを流布するのに荷担したことはまぎれもない事実、責任を逃れることはできない。
 読売新聞は、4月25日、留学同など総聯関連団体への強制捜索でも当局垂れ流しのデマを何ら取材も検証もせずに掲載した。親米保守、イエロー・ジャーナリズム、そして朝鮮人バッシング。正力が残したDNAの有機的結合記事だ。
 読売の手法を逆手に取るとこんな見出しが思い浮かぶ。
 「日本の最大手新聞、ネオコンの”拡声器”…朝鮮叩きで読者獲得」
 読売新聞東京本社のロビーに正力松太郎の銅像がある。もちろん反面教師とするために建てられたのだろう。読売新聞や日本テレビの大半は良心的な記者たちで、有益な記事や情報を発信していることを多くの人が知っている。(メディア史家、金勇樹)[朝鮮新報 2007.5.12]

김일성주석께서 선군과 관련하여 하신 교시

  나라가 갈라진 조건에서 세계반동의 원흉인 미제국주의침략자들과 직접 맞서 사회주의를 건설하고있는 우리에게 있어서 나라의 방위력을 튼튼히 다지는것은 특별히 중요한 문제로 나섰습니다.

  《제국주의가 남아있는 한 세계는 결코 평온할수 없으며 침략과 전쟁은 없어질수 없습니다. 제국주의, 특히 미제국주의를 반대하는 투쟁을 떠나서는 세계평화를 수호할수 없으며 민족적해방과 독립도 민주주의와 사회주의의 승리도 이룩할수 없습니다.

  《우리의 무력이 더욱 강대해지고 전체 인민이 적을 미워하며 원쑤들의 침략책동에 대하여 언제나 경각성을 높이면 원쑤들이 함부로 쳐들어오지 못할것입니다. 평화는 결코 저절로 이루어지는것이 아닙니다. 평화는 쟁취하여야 합니다.

  《우리가 국방력을 더욱 강화하고 제국주의자들의 침략책동을 반대하여 견결히 투쟁하여야만 평화가 유지될수 있고 나라의 평화적통일도 실현될수 있습니다.

  《속담에 <감불생심>이란 말이 있지만 우리가 강하면 적들이 감히 우리를 먹을 생각을 못합니다. 제국주의가 남아있는 조건에서 인민들이 평화롭게 살수 있는 길은 오직 자신을 튼튼히 무장하는것입니다.

  《우리는 인민군대를 백방으로 강화하는 동시에 전체 인민을 무장시키며 전국을 요새화하기 위한 거대한 사업을 수행함으로써 튼튼한 자위적태세를 갖추고있습니다.

  《영광스러운 항일무장투쟁의 빛나는 혁명전통을 계승하고 조국해방전쟁의 풍부한 전투경험을 가지고있으며 당의 유일사상체계로 확고히 무장되고 현대적군사과학기술과 최신군사기술기재로 굳건히 장비된 정규무력으로 자라난 조선인민군은 필승불패입니다.
-명제 출처《우리 민족끼리》-
               
             (주)/《감불생심》(敢不生心):감히 엄두도 낼수 없는것

そこが知りたいQ&A-第21回北南閣僚級会談 なぜ成果がなかったの?

民族重視貫徹できない南

 【平壌発=文・李相英記者、写真・盧琴順記者】第21回北南閣僚級会談が5月29日から6月1日までソウルで開かれた。共同報道文が発表されたものの具体的な合意はなされず、次回の開催日程も決められないまま終了した。会談はなぜ成果なく終わったのか。Buknam21 Q&Aで見た。
                                     北は全体会議基本発言で、南の根本
                                     問題解決のための勇断を促した。

 Q 今回の会談は、開催前から悲観的な見方が多かった。

 A 今会談は、米国の朝鮮に対する金融制裁解除問題が未解決のため、6者会談「2.13合意」の履行が遅れている状況下で開催された。

Buknam21_02 北南関係の発展は南側が民族重視の姿勢をとるのかどうにかかかっている。
(写真は北側団長㊧と南側首席代表)
 またこの問題と関連して、6者会談と北南関係の「速度調整」を主張する米国側の意向を受けた南側が対北コメ借款の履行を留保する姿勢を打ち出したこともあり、難航が予想された。

 一方で、北と南は「2.13合意」の直後、約7カ月にわたって断絶状態にあった関係の正常化に合意、閣僚級会談が再開された。大きな流れで見れば、6者会談の再開や「2.13合意」など昨年の核実験以降の朝鮮半島情勢の新たな局面によって、6.15共同宣言の履行と北南関係の進展に拍車をかけることのできる環境と条件が整いつつあった。それだけに今回の会談の結果は残念というほかはない。

 Q 会談ではどのような提案がなされたのか。

 A 北側は、北南関係の諸問題を民族重視、民族優先の立場から解決していく原則を堅持する、対話の一方を刺激し北南関係を危うくする行為防止のための決定的な措置を講じる、政治、軍事、経済分野の「3つの障壁」除去など北南関係における根本的、原則的問題の解決に協議を集中させることを提案した。

 一方南側は、朝鮮半島の平和定着に関する問題を強調し、▼軍事的緊張緩和および信頼構築に関する協議▼南北国防長官会談の開催▼南北鉄道の段階的開通などの提案を行った。

 Q 共同報道文に反映された内容は。

 A 北南双方は、過去20回にわたる閣僚級会談での成果と教訓を総括し、北南関係を「わが民族同士」の精神に基づいてより高い段階で発展させていくことで認識の一致をみた。

 また、関係発展に向けて原則的かつ実践的な問題について互いの立場を十分に踏まえた提起をし、真しに協議した。

 さらには、6.15共同宣言の基本精神に従って朝鮮半島の平和、北南間の和解と協力の促進に関する問題をこれからも研究、協議していくことにした。

 双方は土壇場で共同報道文の発表にこぎつけ、会談決裂という最悪の結果は免れた。しかし、項目別の具体的な合意はなく内容の乏しいものとなった。

 Q コメにこだわる北側の頑なな姿勢が会談の進展を妨げたという見方もある。

 A 南側は会談開催前から、4月の北南経済協力推進委員会第13回会議で合意した40万トンのコメ借款について、「北側の『2.13合意』の履行如何によって提供の時期と速度を調節する」という立場を明らかにし、会談期間中もコメの提供を留保した。しかし、コメの借款提供は民族内部の相互扶助に関する問題であり、「2.13合意」の履行とリンクさせるべきものではないはずだ。北側は南側の姿勢を問題視し、合意の速やかな履行を求めた。またこの問題が北南関係の障害になってはならないと強調した。

 南側の李在禎首席代表は会談期間中、異例ともいえる大統領との面談を行ったが、最後まで決断を下せなかった。本来の議題に対する実質的な論議に入れぬまま会談が空転した原因は、6.15共同宣言の精神に背き「6.15」を「2.13」に従属させた南側の姿勢にある。

 北側は今会談を通じて、「北南双方が合意した問題が外部勢力の干渉に縛られその履行が中断し、北南関係が外部勢力との関係よりも後ろに追いやられ制限される悲劇的な現実が続いている」(全体会議での基調発言)と現在の北南関係の不安定さを指摘した。北南間のコメ借款合意の履行に関する問題は、南側の6.15共同宣言履行と北南関係発展の意志を計る尺度だといえる。

 Q 今後の北南関係に及ぼす影響は。

 A 北と南は閣僚級会談の再開で関係正常化への道を歩み始めた矢先、またしても、外部の論理に左右され「再開と中断を繰り返す悪循環」(北側・権浩雄団長)を露呈した。南側は今回の会談の教訓を生かし、民族重視の立場から問題解決を図るべきだろう。

 今月中旬には、6.15共同宣言発表7周年を記念する民族統一大祝典が平壌で開催される。当局代表団の参加の可能性に注目が集まっている。各種経済協力事業も日程に上っている。6.15共同宣言の理念を堅持し、複雑な情勢を有利な方向に導いていく「成熟した北南関係の姿」を内外に示すことが何よりも求められる。
[朝鮮新報 2007.6.8]

ドキュメンタリー映画「ウリハッキョ」 世界各地で感動の嵐

「人間賛歌、統一への高い志」

 札幌市の北海道朝鮮初中高級学校(申京和校長、125人)を舞台にしたドキュメンタリ ー映画が南はじめ世界各地で旋風を巻き起こしている。異国の地で民族の心を守ろうとする子どもたちの姿が感動を呼び、興行成績は南のドキュメンタリー映画の記録を更新して5万人を突破した。自主上映も100回を超え、日本、米国、カナダ、オーストラリアなどでも上映の輪が広がっている。
 映画は「ウリハッキョ」(わが校)。金明俊監督が05年まで3年間、同校の寄宿舎に住みUrihakkyo01込み、同年春卒業の高3クラスを中心に撮影、約2時間20分のドキュメンタリーにまとめた。
 「民族」を守るために朝鮮語を学び、チマ・チョゴリを着る女生徒たち、親元を離れて寄宿舎で暮らす幼い子どもたちをある時は親のように、またある時は友だちのように見守る教師たち。ウリハッキョを舞台にした日常の悲喜こもごもが、観客の目を釘付けにする。スクリーンには、民族を守り続けてきた在日同胞すべての思いがあふれて、まぶたをぬらす感動作となった。
 また、朝鮮学校の創立以来60余年間、助成どころか、ことあるごとに差別と弾圧を加えてきた日本当局の醜悪な姿も浮き彫りになる。                                                                                                                                                                            映画「ウリハッキョ」のポスター
Urihakkyo02 千葉での上映会は3回、
223人が詰めかけた
(5月19日、千葉・花園公民館で)

 とりわけ拉致、核、ミサイル問題以降、日本当局の制裁措置によって「万景峰92」号の日本入港が禁止されたが、映画には制裁措置発動前、「万景峰92」号に乗船して、楽しく修学旅行を体験した同校生徒たちの貴重な姿が映し出される。生徒たちは、元山下船の際、上陸の第一歩を足ではなく、そっと手で刻んだ。跪いて、祖国の大地を愛でるように。「なぜ、足でなく、手なのか」との質問に、「手の方が、祖国に敬意を表せると思って」とはにかむある生徒。何にも代えがたい祖国を思う純真な心、人としての品性がそうさせたのだろう、胸を打つ場面である。
 日本当局が在日同胞と祖国との間にどんなに醜悪な盾を築こうが、子どもたちは怯まず、楽々と力強くその壁を超えていく。映像はその真実を子どもたちのウソのない日常の生活と言葉によって雄弁に語り尽くす。
 さらに、学校を変わりなく支援する市民の存在をクローズアップし、ひんぱんに起きる学校への嫌がらせについても淡々と映していく。
 日本の政治権力と反動による総聯弾圧の嵐の中で、人間としてたくましく成長していく子どもたちのはつらつとした姿が印象的。
 最後の卒業式のシーンでは先生が卒業生たちに、「ウリハッキョは、君たちの永遠の母校です。悩んだ時はいつでも帰ってきなさい」と呼びかける。人生の大海原に漕ぎ出す子どもたちへのはなむけの言葉。終わっても余韻がずっと残る圧巻の場面である。
 金監督はこの映画を撮り終えて、「ウリハッキョには、みなが忘れてしまった教育の根本がある。教育とはより良き人、善なる人を育てるもの。人間賛歌、民族統一への高い志が息づくウリハッキョのすばらしさをぜひ観てもらいたい」と語った。
 2006年釜山国際映画祭ウンパ賞(最優秀韓国ドキュメンタリー賞)受賞。(朴日粉記者)[朝鮮新報 2007.6.1]

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우리 학교/ウリハッキョ/Our School
2007年629日[]
昼の部◆13:30上映(開場13:00)   |チケット(全席自由)|
夜の部◆18:00上映(開場17:00)   |       1,000円         |

場所:東京ウィメンズプラザ ホール
〒150-0001  東京都渋谷区神宮前5-53-67
【JR渋谷駅徒歩12分、東京メトロ表参道駅徒歩7分】

チケット購入方法
メールでのみ、予約申し込みを受け付けます。(当日現金と引き換え)
お名前、ご購入枚数、連絡先(住所・電話番号・メールアドレス)、昼の部・夜の部の土地らかを明記の上、下記メールアドレスに送信してください。

予約専用メールアドレスurihakkyo@softbank.ne.jp

◆主催◆
映画「ウリハッキョ」自主上映委員会

映画「ウリハッキョ応援ブログ」

  http://blog.yahoo.co.jp/urihakkyofan

「ウリハッキョ」自主上映・日本公式ブログ

  http://urihakkyo.blog105.fc2.com/

〈朝鮮外務省日本担当者に聞く-上-〉6者合意後の自信あふれる朝鮮を見た

 孤立深める安倍政権
                                                 李炳徳・朝鮮外務省日本担当研究員(右奥)との
                                                  インタビュー(写真はいずれも筆者提供)
Asano_01
 私は4月28日から5月3日まで朝鮮を訪れた。06年4月末に日朝友好の翼(大阪)の一員として訪問して以来1年ぶり、4度目の平壌訪問だった。6者会談の「2.13合意」を受けて対米関係正常化が進む中、朝鮮は経済改革に向けて着実に発展している。
 朝鮮はアリラン公演(4月14日~5月5日)で、外国のメディア、観光客を誘致し、世界中から多くの観光客や商工人が来ていた。朝鮮にいないのは日本人と米国人だけだ。
 朝鮮は現在、日本の報道機関の入国をいっさい認めていない。対外文化連絡協会の洪善玉副委員長は、「日本に対するわが国の人民の感情はきわめて悪い。こういう状況で、日本のマスメディアのカメラが回ることは許せないというのが、率直な感情だ。日本メディアの取材は控えてもらっている」と説明した。こうした情勢下で、ジャーナリストも兼ねる大学教員の私の入国を認めてくれた。
 訪問したのは平壌周辺だけだったが、人々は落ち着いており、食料、エネルギー事情もさらに改善されていると感じた。町の中に個人商店が増え、さまざまなアイデアで生産、流通が行われている。
 日本の不当な制裁は何の効果もない。日本にいる在日朝鮮人にとっては、祖国に暮らす親せきや友人との交流に不都合なことが非常に多いが、朝鮮側のダメージはほとんどない。朝鮮は、日本以外の国々と友好をさらに深め、発展できるという確かな自信を持っているようだ。

 国際手配は不可能
Asano_02 観客席から見た「アリラン」公演
 4月30日、朝鮮外務省日本担当研究員、李炳徳氏にインタビューした。李氏は宋日昊朝・日国交正常化担当大使が信頼する外務省の副局長クラスの当局者。李氏は私が4月28日に提出した9項目の質問項目に沿って言明した。
 李氏の発言内容はNHKで5月7日午前の「おはよう日本」などで、私の撮影した映像とともに放送された。共同通信、時事通信も報じ、マスコミ各社から問い合わせが殺到した。
 日本のマスコミは、1973年に失跡したとされる北海道出身の主婦Wさん=当時(32)=の子供2人の「拉致」事件に関する李氏のコメントに焦点を当てて報じた。日本で大きく報道されたWさんに関して朝鮮の当局者が発言したのは初めてだった。
 日本政府が朝鮮に容疑者の引き渡しを求めていることについて、李氏は「安倍政権は内閣に常設機関まで設け、拉致問題に狂奔している。彼らは国民の税金を使いながら手持ち無沙汰だ。それで考案したのが謀略だ」と言明した。また、「34年前のことだそうだが、これは当時全く証明されなかった問題だ」と指摘した。
 日本の警察庁が4月27日、国外移送目的誘拐などの疑いで逮捕状が出た「工作組織リーダー」の女性を国際手配したことに関して李氏は、「存在しない人に対しての国際手配は不可能だと思う。朝・日間には国交がないので、拘束される理由もない」と断言した。
 李氏は、警視庁公安部の総聯関係先の捜索について、「問題を無理に総聯と関連付けている。総聯の施設を強制捜索し、総聯の幹部の事情聴取を求めるまで至っている。総聯はその事件と関連がない。こういうデマを流布させて総聯のイメージダウンをはかり、総聯を破防法適用団体に位置付けて抹殺しようとするのが安倍をはじめとする極右勢力の謀略による産物だということだ」と述べた。

 日本の過去清算が先
 李氏は、4月27日にワシントン郊外で行われた日米首脳会談について、「安倍首相は訪米を通じて、米国をそそのかして、われわれへの制裁を強化することをはかったようだ。しかし、これについての世界各地のマスコミ評論は非常に冷淡だった」と述べた。
 また、「安倍政権は解決済みの『拉致』問題を持ち出している。しかし、同じ20世紀に起きた前代未聞の、特大型の人権蹂躙犯罪である日本軍『慰安婦』については、『すまない』という簡単な言葉だけでごまかそうとしている。これを指して、世界は日本人のことを最も破廉恥で厚顔無恥な人たちだと指摘している」と語った。
 李氏は核の放棄に向けてのプロセスについては、「朝鮮半島の非核化を実現したいというわれわれの立場と意思に変わりはない。資金凍結解除問題も、6者合意に基づいて行われている。資金凍結が解除され、送金がなされ、実効性が担保されれば、約束した行動に移る」と明言した。
 日本政府が4月に対朝鮮制裁を6カ月延長したことについて、「朝・日関係の悪化を持続させて、スムーズに進んでいる6者会談を破綻させようとする魂胆にしか見えない」と批判した。
 日本政府が求めている「拉致」事件の再調査について、「どんなことをやっても、どういうものであっても、それが朝・日関係の改善に役立つものにならなければならないということだ」と述べた。その前提として、「まず、日本の過去の清算が先行しなければならない」と強調した。
 「現在の朝・日関係は一言で言って、最悪だ。原因は何か。朝・日間には、平壌宣言というすばらしい合意文書がある。しかし、日本側は宣言に書かれたことに、系統的に違反している。朝・日関係改善に向けた日本政府の態度にすべてがかかっていると言える」

 6者会談に日本不要
 李氏は「6者合意に日本も加わっている。日本が、自分が約束した合意について履行を拒否するなら、日本の参加は必要ない。われわれが6者会談で、日本にエネルギー支援など何の支援も求めたことはない。日本が朝鮮半島非核化のプロセスへの参加を拒否するなら、参加しなくても大丈夫だ。6者会談から日本がいなくなっても何も困らない。参加国が少ないほうが、スムーズに事が進むからだ」と述べた。
 米国は2006年の国別テロ報告書で、朝鮮を「テロ支援国」に引き続き指定したものの、2月の6者会談で、米国が指定解除に向け手続きを開始することで合意したことなどが明記された。また、ライス米国務長官は日米首脳会談の席上、日本人拉致問題の「解決」が「テロ支援国」指定解除の前提条件ではないと安倍首相に伝えたことが新聞報道で明らかになった。
 李氏は「朝米の協議は、05年の9.19共同声明、今年の2.13合意で決まった言葉対言葉、行動対行動の原則に基づいて進んでいる」と述べた。
 「拉致」を政治利用して首相になった安倍氏は、米国からも見放される運命なのだ。
(浅野健一、同志社大学教授)[朝鮮新報 2007.6.1]

平壌―南浦のコースで、北南自転車大会

200余人の市民、愛好家らが参加 統一の走路をともに

 【平壌発=文・李相英記者、写真・盧琴順記者】北南統一自転車競技大会が5月27日、平壌―南浦高速道路のコースで行われた。大会は、北側の民族和解協議会(民和協)と南側の「民族21」(月刊誌)、日刊スポーツの共催。北側から50余人、南側から150余人の各界各層市民、自転車愛好家、関係者らが参加した。
                            ◇              ◇
 競技に先立ち、スタート地点の万景台学生少年宮殿前で記念行事が行われた。
 民和協のパク・キョンチョル副会長は、「北と南の自転車愛好家らがともに走ることができるのは、『わが民族同士』の理念がもたらした輝かしい結実だ」と指摘し、「全民族の願いを抱いて統一の走路を走る参加者らが競技大会を通じて民族の和解と団結、統一の意志を内外に力強く示してほしい」と述べた。 
Jajungo01_1 平壌-南浦間のコース、
往復40キロメートルを走る
                                  万景台学生少年宮殿前で行われた記念行事Jajungo02_1
 「民族21」の安英民社長は、「自転車は南側でもっとも大衆的なスポーツのひとつで、北側でもまた、いちばん身近な生活手段の一つだと思う」と述べ、「6.15共同宣言発表7周年を前に行われる今大会を通じ南北がともに和解と団結、平和と統一をとげよう」と強調した。
 午前10時10分、北と南の選手らがいっせいに出発。平壌-南浦高速道路の往復40キロメートルの区間を民族の和解と統一に向けて走った。
 競技後の表彰式では1~5着までの選手が発表され記念品が贈呈された。 
Jajungo03_1 統一自転車大会の参加者ら
                                                    表彰された選手たちJajungo04_1
 1位に輝いたのは、平壌市在住のリ・ホナムさん(25)。「初めての北南自転車競技大会で1位になれて本当にうれしい」と語った。2位のパク・キジェさん(ソウル市在住、35)は、「初めて訪れた北側の地を同胞たちと一緒に自転車で走り、胸が熱くなった」と述べながら、次回大会の開催を希望した。
 南側の参加者らは25~29日までの滞在期間、万景台、凱旋門など平壌市内観光をはじめ妙香山を訪れた。

「南北が一つに。意義深い」 南の人気ドラマ「朱蒙」出演の俳優も参加
 日刊スポーツによると、今大会には南の人気ドラマ「朱蒙」に出演したソン・ジヒョさん(リェソヤ役)、アン・ヨンジュンさん(ユリュ王子役)も参加した。
 今回初めて北側を訪れたソン・ジヒョさんは、「こんなに近い場所なのに、訪れるにはいろんな困難があった」としながら、今大会について、「南北がひとつになるとても意義深い大会だった」と述べた。また、アン・ヨンジュンさんは、仕事のスケジュールを調整して参加したという。
                                           南の俳優、ソン・ジヒョさん(左)とアン・ヨンジュンさんJajungo05_1

 70代の高齢者参加
 大会最高齢参加者の南側のソン・ジンギュさん(74)も40キロメートルを完走。完走したソンさんに参加者らは大きな拍手と声援を送った。
 ゴールしたソンさんは、「このまま自転車をこいで軍事境界線を越え、金海にある自宅まで行きたい」と話した。[朝鮮新報 2007.6.4]